THEALFEEは2024年8月25日でデビュー50周年になります。

ミュージシャン



THEALFEEは2024年8月25日でデビュー50周年になります。

THEALFEEとはどういうグループなのか、知らない方の為に

Wikipediaも使いながら説明します。

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1973年に結成、1974年8月25日にデビューした。

日本ロックバンドユニバーサルミュージック内の社内レーベルであるVirgin Music所属。

事務所はProject III(田辺エージェンシーのグループ会社。1985年3月30日設立)。

元々は、三宅康夫、桜井賢らによる音楽グループであった。

その後、三宅康夫、桜井賢、坂崎幸二(坂崎幸之助)、高橋志郎による

「コンフィデンス」というグループ名で[3]1972年小室等のプロデュースにより、

「スクリーン・フォーク・アルバム『愛よこんにちは』」でレコードデビュー。

メンバーの入れ替わりを経て、1973年、桜井賢と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助、

明治学院高校のまた別のバンドにいた高見沢俊彦、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった

三宅康夫の4人となる。その為、THE ALFEEとしては1973年結成とされている。

1974年、アイドルフォークバンド「ALFIE」としてレコードデビュー。

1975年、三宅が脱退し3人になり、現在に至る[注釈 1]

その後レコード会社ビクターとの契約解除を経て、1979年に自作の曲で「Alfee」として

ポニーキャニオンから再デビューする。

最初はアイドルフォークバンドとしてデビューしたが1979年以降

徐々にロックの要素を取り入れ、1983年6月21日リリースの

メリーアンはアルフィーの初めての約37万枚の大ヒット曲。

このメリーアンにより全国にアルフィーの名を轟かせた。

1983年9月5日リリースのALBUM『ALFEE’S LAW』の

1曲目のジェネレーションダイナマイトはかなりの衝撃的なインパクトのある曲で

数えきれないくらい何度も何度も聴いた曲。

メリーアンの大ヒットで世間には知られたがこの1年前の1982年にはかなり

LIVEでの動員数もヒット曲が無い割には結構盛り上がっており

1982年 8月6日に会場:所沢航空記念公園にて

アルフィー初めての夏のイベントであり

初の野外コンサートは破格の約5000人の動員数で開催し

大成功を収めた、コンサート中MCで高見沢さんが「来年アルフィー結成して10年なります

来年8月25日、何かやります」と企画すら起っていない状態にもかかわらず

「何かやります」と宣言をする。

その宣言とは、1983年8月24日結成10周年に行われた日本武道館でのコンサートだ。

実はこの1983年8月24日の時点ではヒット曲が無い状態での日本武道館LIVEイベントだった。

それまでは武道館でのコンサートはそれなりにヒットして集客力がある歌手、ミュージシャンが

行ってきたため異例のコンサートでした。

しかもこの時のお客は本当に今ではありえないサービスをしてもらっていたのです。

それが、当時まだビデオがあまり普及していないにもかかわらず。

プロモーションビデオをプレゼントしていたのです。

しかもその時は、VHSとベータの2種類が存在していたため2種類とも用意していたのです。

お客も当時は分からずにもらっていたと聞いています。

本当に太っ腹なアルフィーです。

このコンサートの前、8月10日、11日に行われた大阪城野外音楽堂でのコンサートの時に

当時大人気だった『ザ・ベストテン』のスポットライトに登場し、この時にすでに発売していた

メリーアンが紹介され全国ネットで歌うことになり、その後ヒット曲になるのです。

6月21日に発売して少しずつ上昇していた中、スポットライトでの紹介で人気になりました。

このメリーアンがきっかけでファンも急上昇し、今でも全国ツアー春、秋と欠かさず40年以上

行っており、現在(2024年3月)バンドでは最多回数の約2900本です。

THEALFEEネタは言い出したらキリがないくらいあるので、今回は

2021年2月22日にNHKのファミリーヒストリーで放送された

「アルフィー高見沢俊彦〜初めて知る父の生いたち〜」

14年前に亡くなった父は元教師。

今回、父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。

また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。

出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。

その後、父は無事に復員。

戦後は教師一筋の人生を送る。

さらに、母が自らの人生を記した手記も見つかる。

母方のルーツは、「八王子千人同心」という集団につながった。

アルフィー結成秘話とともに、激動の歳月を見つめる。

⇧NHKから引用

この放送された動画がこちら全7本動画⇩

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦1
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦2
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦3
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦4
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦5
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦6
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

 

ファミリーヒストリー高見沢俊彦7ラスト
高見沢俊彦さんの父が幼くして両親を亡くし、苦労して教師になった経緯が明らかになる。また、母と結婚したのは召集令状が来てすぐだった。出征前、2人は覚悟して式を挙げていた。その後、父は無事に復員。戦後は教師一筋の人生を送る。さらに、母が自らの人...

 

 

 



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